24日

実に多彩な経験をした 5日間だった。 今日 日本に帰るのが なんとなく寂しいと感じる。
でも・・ 半分 日本へ帰りたい寂しさもある。(^_^;) 
←ちょっと本音・・・

とにかく 今日の午後のフライトで戻るのだ。
残された時間は 午前中のみ。

朝一番は あちこち案内してくれた 大学教授の自宅へ招待された。
家族の皆さんと挨拶をする。 子供さんは 1人だった。
5歳・・・なんだけど なんと 日本語と中国語の両方を話す。

日本語と中国語の両方が話せる
5歳児 浩民(こうみん)くん

明るいかわいらしい性格だった

また日本に来たら
おじさんと一緒に遊ぼうね!



私が 
『わたしは いしぐろ よ!』 と教えると すぐに学習し 私を名前で読んでくれる。

そして慣れた頃には
『いしぐろさん あそぼうよ!』 と手を引っ張るほどに。 元気のいい子供だった。

教授の自宅から 大学までの道のり。 プラタナス並木を走り抜け・・・。


 その5歳児撮影の一枚



つづいて 大学の近くの ’興慶宮’ (だったと思う)へ行った。
なんだか良く分からないが ’阿部仲麻呂’の記念碑があるそうだ。 なんの記念碑なんだろ?
大体 阿部仲麻呂って何をした人だっけ? んー 無知だ。

『あまのはら、ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも』

・・・確かこんな歌が百人一首にあったような・・。

’阿部仲麻呂 記念碑’

(写真に写っているのは全然知らない人)

記念碑の周りを何気に歩いてた。  その時 見知らぬ人に話しかけられた。
前にもちょっと書いたが 日本人は 黙っていれば 中国人と見分けが付かないのだ。

女性3人グループが 私に話しかけて来た。

『§☆&%→※☆℃¥〆♂♀☆◎◇◆・・!!』

全然何を言ってるのか判らなかったが 最後に笑顔で自分の持ってるカメラを私に 手渡した。

『そういう事か』

私はあえて一言も話さず 笑顔だけで カメラを受け取る。

撮影時には   
『SMAIL !』  と英語で話す。
さらに自分のカメラでも 一枚。 カシャ!

カメラを返す時 また何かを言った。 多分 お礼を言ったのだろうと思い

『不客気(ブコォチィ)!』 と笑顔で答える。(どういたしまして と言う意味)
(私の数すくない ボキャブラリーのひとつ)

この時 (じゃないかも知れないが・・) 初めて日本人である事に気が付いたのかな?
立ち去り際に 私の方を振り返っては3人で顔をあわせて笑っていた。
(日本の女子高校生のような感じで)

『笑顔は国境を越えた!(^。^)/ 』 ←なんやそれ??


そうそう 中国では 旧暦のため 今年は2月1日が お正月に当たるそうです。
こんなものを発見。 恭賀新春と読める。 日本だけじゃなかったのですね・・・

って 日本がまねをしたのですね。 もともとは。(笑)


お正月を迎える準備のため 街のあちこちで こんな飾りを見かけた。


お昼になった。 中国での最後の食事だ。 円卓にすわり 教授の家族と一緒に食事をする。
教授が一言 


『石黒さんは ビールですね。』


と笑顔混じりに私の了解も取らずにオーダーしてくれた。 
う〜ん。 どうも私の性格(飲べぇ)はすっかりばれてしまったようです。
まぁ それだけ打ち解けられたって事でしょう。 素直に喜んだ。

食事の後 空港まで送迎してもらう。 
思い起こせば・・いい旅だった。 すごい貴重な経験をしたと思う。

最後に お世話になった人と握手を交わし 笑顔で

『また来ます!』 と別れを告げました。

『再見!』 



さようなら 中国

END


おまけ・・・
日本に帰ってくると 貴乃花が 引退していた。 いつのまに・・・

END

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